■映画「血風ロック」■


 公開当時(1985年)のチラシ

     
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以下、チラシよりコメントのみを抜粋

解説

小劇場演劇界の異端児・流山児祥が初のメガホンをとる異色バイオレンスアクションの意欲作。熱い気分の映画とでも呼ぶべき、現代の不安と不気味さを、暴力と血と汗で描いた衝撃的作品である。演劇界と映画界の若い息吹きが結束して創り上げた、日本映画界へ波紋を投げかける娯楽映画の登場。
  主人演しるのは問題作『MISHIMA』の森田必勝役を務めた小劇場演劇界のトップスター、塩野谷正幸。全編を通して男の哀しさと激情を熱演している。その弟分慎吾を演じるのは第三エロチカの有薗芳記。『逆噴射家族』を超える存在感とパワーは80年代の個性的俳優として注目の的。また、流山児祥の片腕として15年の歳月を共にした新白石が支店長役を好演。  そして、小劇場演劇界のアイドル、美加理。赤丸急上昇の劇団、第三劇場の大高洋夫。竹内統一郎が率いる実力派劇団秘法零番館の小林三四郎の若手役者群も実力を発揮。
  こうした小劇場演劇界のスターたちを向こうに回して、『TATOO<刺青>あり』で迫真の梅川役を演じた、宇崎竜童が大島役をピシッと決めている。
 他に、写真集やビデオで人気の田中こずえ、『金魂巻』の九十九一らが脇を固めている。
  映画少年だった流山児祥の映像の記憶が蘇り、今、鮮烈に舞い狂う。これまでの日本映画にないB級アクション映画の誕生。  80年代を熱い男たちが疾走する!

 

物語

午後3時、太平洋銀行南新宿支店のシャッターは静かに降りていく。
  午後3時5分、陽冶は時計を踏み潰し、銀行通用口へ向った。 三商リクルートの大島さんの使いのものと偽り、陽治は容易に支店長と会う。と同時に彼は素早くピストルを抜き出した。
  陽冶はかつて南新宿一帯にシマをもつ大島組の幹部だった。敵対する組長殺しのため服役している間に、大島組は三商リクルートと名を代え、堅気商売を装っていた。が、実際は支店長と密接な関係をもっていた。
  陽治が次第に銀行内を自分の支配下にしていくうち、ホンモノのチンピラ銀行ギャングまで出現し、銀行円は血みどろの世界へと変わっていく。しかし、そんな惨劇の中でもひとり女子行員エリだけは動じなかった。陽治はそんな彼女に自分のもう一つの姿を見るようでもあり、自分を捨て、大島に走った女を見ているようでもあった。
  陽治が妄想にかられている間に、陽治の弟分、憤悟がライフルを持って助っ人に来る。 陽冶と慎吾は20人の死体の山のなかで、こんな会話を交わす。  
「なんか、おれたち不思議なオハナシしているなァ」
「?」  
「拳銃(おもちゃ)で百人殺すのか」  
陽治と慎倍は大島と対峠する――。
  時計はまだ3時5分を差したままであった。

 

コメント

川村毅

流山児祥氏が今度映画を撮ったという。タイトルは「血風ロック」。  
 その血の色はどんなものになるのか?
 その風の勾いはどんなものなのだろうか?  
 ペキンパーの地獄と仁義のほとばしる赤か、はたまたセルジオ・レオーネの友情と裏切りに裏打ちされた荒野に沈む夕陽の赤か。流山児氏の映像の記憶がいかなるものか、とても楽しみだ。いや、出来上るものは、そんな自らの映像の記憶をもまるで抹殺、無視した心情あふれるハチャメチャさに徹したスプラスティック・バイオレンス・アナーキズムに貫かれた娯楽作品かも知れぬ。
  <映画の夢>を語る人は多いが、実際にそれに挑戦してみようという者は少ない。36歳の新人監督流山児氏を私は応援する。  思えば今や伝説の如きものとなって巷にひろがっている流山児氏と私の出会いの一場面。 故・手塚俊一氏告別式における乱闘騒ぎ、あれもれっきとした映画のワンシーンだった。
  塩野谷正幸と有薗芳記の共演も興味深い。塩野谷がデ・ニーロなら、有薗は唾の飛ばし方、よだれの流し方の妙でもって完全に舞台の上のアル・パチーノだ。  
 私は小劇場という呼び方にも、アングラという呼ばれ方にも興味がない。  
 塩野谷や有薗は、決して(小劇場界のスター)などではない、ホンマモンのスターにならなければならない。この「血風ロック」出演がその第一歩だと私は信じる。

石井聰互

映画の銀幕に活劇が絶えて久しい。  
 サム・ぺキンパー監督も、ロバード・アルドリッチ監督も、昨年惜しくも死去し、深作も石井 も長崎も活劇映画を撮らない(撮れない)一九八五年に、しかし、異色の活劇映画が出現 しようとしている。
  「映画が創りたい」と大将は言った。  アングラ演劇界の大将、流山児祥は、永遠の夢みる映画青年でもあった。
  銀幕に懸けるその意気込みは、一昨年、彗星の様に登場し、たった一本の主演フィルムだけを残して他界した、金子正次氏の鬼気迫る映画への熱情が、そのまま乗り移ったかの様であった。
 残念ながら、自分は、最新型の熱い魂の活劇「血風ロック」の懐妊にかかわっていながら、具体的な作業となってからは、何ら手助けすることができなかった。
  現場の空気や生のフィルムの感触は、伝え聞く噂としてしかわからないが、内田栄一氏を中心とした野心的なシナリオを得て、希有のエンタティナーである流山児大将は、塩野谷正幸を始めとする若手演劇人のまさに活き活きとした、肉体と感情が同時代的を状況と激しくぶつかり合う様を、ワイルドにリアルに劇的にスクリーンに写し出してくれることだろう。それは、型式ばかりにとらわれて映画の本質を見失い始めた我々映画人のボンクラ頭に、快い一撃をくらわせてくれることだろう。完成を心して待つ。そして応援する。