海外秀作戯曲連続上演2003〜2004

ハイ・ライフ

High Life

 

撮影:アライテツヤ

作:リー・マクドゥーガル  訳:吉原豊司

台本・演出:流山児祥  音楽:トムソン・ハイウエイ

[出演] 塩野谷正幸(バグ)、千葉哲也(ディック)、若杉宏二(ドニー)、小川輝晃(ビリー)

 舞台模様はこちら

12月2日(火)〜10日(水) 下北沢ザ・スズナリ TEL03-3469-0511

前売予約4,000円 当日4,500円 学生割引3,000円  【全席指定】  前売開始10月26日(日)


2003年 2

3
4 5 6 7 8 9

10
開演

昼の回(14:00)

 

    ほぼ満席  
夜の回(19:30) ほぼ満席    

 ★12/8夜の回、12/9昼の回の2回
 アナザー・ヴァージョン公演
 出演:関根靖晃、谷 宗和、甲津拓平、イワヲ
 
 
前売予約2,800円 当日3,000円 学生割引2,500円
 2本通し券6,000円(事務所扱いのみ)学生割引5,000円

 

2003年10月より2004年3月まで流山児★事務所は初の試みとして、『結婚★五つのアリア』『ハイ・ライフ』『ガラスの動物園』『イエロー・フィーバー』と4本のアメリカ&カナダの秀作戯曲を連続上演します(芸術監督:流山児祥)。その第2弾はカナダの新鋭劇作家リー・マクドゥーガルの大ヒット作『ハイライフ』。2001年に開かれたカナダ現代演劇祭で作家と翻訳家を迎えて本邦初上演。4人のジャンキーたちの鮮烈で奔放な生き様を描き演劇界の話題を独占したジャンク・コメディ。翻訳の吉原豊司はこの作品で第9回湯浅芳子賞を受賞。2003年の掉尾を飾る問題作であり、流山児祥演出作200本記念作品でもある。

あらすじ
世のならわしや常識でがんじがらめに縛られた普通人には到底まね出来ない、胸のすくような自由人4人の冒険と失敗譚。

登場人物は中年のチンピラ・ジャンキー4人。口八丁手八丁、策士のディック。刑務所から出てきたばかりのバグ。腎臓がイカれてしまったコソ泥ドニー。そして、したたかな二枚目ビリー。男たちが銀行強盗を企むところから物語は始まります。目指すは街角のATM現金自動受払機。一世一代の大仕事を成功させ、田舎に引っ込んで『豊かな老後』を実現しようというデイックとバグ。一儲けして、もう1ラウンド生きながらえようというドニー等、胸のうちはそれぞれ。しかし、壮大な計画は仲間割れで見事に頓挫。元の暮らしに逆戻り……。



『ハイ・ライフ』 テアトロ 2001年5月号 結城雅秀

 流山児★事務所による『ハイ・ライフ』。この直前に取り上げた作品と同様、「カナダ演劇祭2001」参加作品。昨年は『狂人教育』でヴィクトリア演劇祭2000でグランプリを受賞し、カナダとの縁が深い流山児祥の演出である。作者は役者でもあるカナダのリー・マクドゥーガル。この作品は1996年、巡業先の安宿での体験を基に書かれた彼の処女作であり、英語圏で広く公演されている。登場人物は現代カナダに生きる四人の男達。彼らの生き方はならず者ではあるが、自由で、かつエネルギッシュだ。現代社会において、規制を感じつつ順応主義として生きる人間にとっては、彼らの生き方は痛快である。懲りない生活を続ける自由奔放でジャンキーな、つまりゴミのような人生を闊達に描く舞台となった。
 この四人のうち指導的な役割を果たしているのがディックであり、麻薬を材料にしながらならず者達を引き付け、集団を組んで、銀行強盗などの稼ぎをしている。ディックは、バグの出所にあたり、他の二人を巻き込んで、知能的な銀行強盗を企画する。仲間のうちの一人は他人のキャッシュ・カードを失敬して現金を引き出している肝臓病のドニーと女にもてるタイプで美形のビリー。この四人のうち、ビリーだけが刑務所にいた経験をもたない。仲間割れもあるが、ディックは何とか彼らの間を取り持ち、「完全犯罪」と考えられる企画を実行に移す。成功するかに見えたところで、バグがビリーを殺してしまうことから、この罪をドニーに着せて再び入獄させる。数ヶ月後、ディックは懲りることもなくバグを次の企画に引きこもうとしているところで芝居が終わる。
 最初の場面でバグの回想が聞き取り難かったが、間もなくいつものパワーを取り戻し、粗暴なエネルギーの雰囲気を遺憾なく発揮した。ディックは全体を通じて、乱暴な中にも企画を考え出す知的な雰囲気と巧妙なチーム・ワークを配慮する周到さを演じた。ドニーは肉体的な弱々しさと精神の優しさを表現し、ビリーは女に言い寄る技術を好演した。中でもビリーが、ドニーに迫る場面、それに、モノローグで銀行員に話し掛ける場面が圧巻である。
 加藤ちかによる装置は単純なもので、役者の持ち味を引き出している。刑務所を象徴する鉄格子が芝居の冒頭で天井のように上昇し、それが少し降下して待機中の車内の雰囲気を出すところや、舞台の一部が上昇と下降を繰り返して、麻薬の効果を出している箇所が印象的だ。それにディックのもつ映画愛好家としての性格も効果的に使われている。(3月10日、両国・シアターX=カイ)


 「ハイ・ライフ」は、酒とドラッグに溺れる四人の若者が銀行強盗に失敗するというお定まりのストーリーながら、個性豊かな四人が繰り広げる「悲しいまでにコッケイな」ドラマが観客を魅了する。舞台はボクシングのリングのように四角で観客席が四方を取り囲んでいる。一番奥の席は舞台として使われることがあるので、実際は三方に観客が座っている。こうした舞台構成は、役者が「リング」にあがると、もがき闘う姿が強調され、そこから降りると日常空間に戻ったような印象を与える。こうして、現実世界では目を背けられるに違いない低俗な若者たちのパフォーマンスが異空間で繰り広げられることにより、鑑賞の対象となり、その意味が新たに問われるようになるのである。
 日常化された言語活動を再活性化させ、言語と現実世界の関係を問い直すのが文学であるならば、演劇はパフォーマンスを「見る」意味を教えてくれる。

小畑精和(千年紀文学)


 新しい翻訳劇では、「カナダ現代演劇祭2001」の一環としてシアターxで上演された流山児★事務所公演『ハイ・ライフ』が出色の出来栄えだった。銀行強盗をもくろむ薬物中毒の男たちを描くこっけいさで無残な物語だ。塩野谷正幸、山本亨らの演技には役柄にぴったりの魅力的なリアリティがあり、流山児の演出も洗練されていた。

扇田昭彦(テアトロ)


 「ハイライフ」は、網のようなと言うか鉄格子のようなというか、そうした無機質に人間を囲ったり取りこめたりするパネルを使った装置が具象性と抽象性とを兼ね備えた、一種の抽象性を持っていて、強く印象的だった。麻薬中毒の男たちが銀行強盗を計画して、結局失敗する話である。麻薬と言い、銀行強盗と言い、彼ら若者から言えば雁字搦めの管理社会への反抗ということになるのだが、銀行強盗はほかならぬ細心の注意、すなわち別の意味で究極の管理社会を形成しなければ、成功しない。つまり、彼らが個人として希求するより良い生活(台本を検討していないのでよくは分からないがハイライフというタイトルは、麻薬づけのハイな状態と高級なという両義語なのであろう)は、その個としてのモチーフの強さゆえに逆に失敗を内包している。ハイライフがハイライフを否定しているのだ。と同時に、この舞台ではスカトロジックな現象が失敗の一因としてが現れるが、恐らくここにもっとも素朴な人間のいつわることの出来ない生理が現れているとも言えるのである。また、鉄格子は観る方によって内側と外側の意味が逆転するのだ。
 わたしとしては、世紀と言うより千年紀をまたぐ意識を、こうした舞台に見たいのである。どれを、ベストワンにしてもよいのだが、「ペンテコスト」と「十字軍」に見られる、どこか知的な装いを全く感じさせない「ハイライフ」の流露感を買いたい。

みなもとごろう(テアトロ)